伏見人形の由来



     伏見人形は江戸時代後期に最盛期を迎えた最も古い郷土玩具です。
     全国で90種類以上もある土人形のなかで、伏見人形の系統をひかないものは
     ないと言われるほどの土人形の元祖であり、民俗的な美しさを誇っています。
     当時、伏見街道沿いには、約60軒もの窯元が軒を連ねたが、
     現在では寛延年間(1750年頃)創業の当窯元、丹嘉のみ。

     その起源はむかしむかし歴史に名高い野見宿の後裔にあたる土師氏が
     統轄して土師部(土でいろいろなものを造る人)に土器を造らせていました。
     垂仁天皇の時代に朝廷より土師職に任命され、伏見深草の里に住んで
     土器、土偶(土人形)を創りだし、ここに生まれたのが伏見人形です。

     代表的なものは、稲荷大社の祭事に使われる耳土器をはじめ、
     お使姫のお狐さんや饅頭喰い、チョロケン、玉、でんぼなどがあります。
     現在残っている原型、土型は2000種ほどで、往時の風俗
     伝説を人形に表現したものがほとんどです。
     ユーモアに富んだ面白さ、豊かな味、そしてその一つ一つに滲み出て来る
     庶民的な素朴さは、外国の人々にまで親しみを持たれています。